お手入れ
AMAN京都 「アマン京都完成の軌跡—紙屋川庭園編—」
こんにちは、大平です。今回はあの「アマン京都」についてお話します。
アマン京都ブログ第1弾と致しまして「アマン京都完成の軌跡—紙屋川庭園編—」についてお話します。
さて!本日は、先日手入れ作業に入らさせていただきました下京区にございます「京の宿 北海館 お花坊」さんです。
アマン京都は京都市北区にあるラグジュアリーホテルです。街の喧騒を通り抜けた先にあるこの地は東京・大手町の「アマン東京」、伊勢志摩の「アマネム」に次ぐ国内三軒目のアマンとして2019年11月に完成いたしました。ご存じの無い方はアマン京都公式ホームページ(https://www.aman.com/ja-jp/resorts/aman-kyoto)をご覧頂ければ「アマン京都」とは「アマンというブランド」とは、について感じて頂けると思います。
さて、まず「アマン京都完成の軌跡」をお話しするには「紙屋川庭園」という庭園を抜きには語れません。「紙屋川庭園?知らないな。」とおもった方もいらっしゃると思います。それもそのはず。「紙屋川庭園」とは「アマン京都」の前身に当たる庭園です。もし紙屋川庭園をご存じの方がいましたら、相当な庭園通だと思われます笑。
森に少し入ったところに存在していたこの紙屋川庭園は、一般に公開されていた庭園ではなかったようで、また個人所有の庭園でした。それゆえ世に多くの情報が出回っていないのです。このアマン京都の前身の紙屋川庭園は、京都の西陣、その中の一、二を争う程の高級品を扱う織屋さん所有の庭園だった様です。40年の歳月をかけて造り続けられた庭園であり、作庭には彼の有名な作庭家、故重森三玲氏、故井上卓之氏が関わっていました。
造り続けられた庭園、という表現で「完成してないんだ。」と思ったかと思いますが、私はそうは考えていません。未完成という表現よりも「完成させ続けた」という表現の方がしっくりくる、と考えています。というのも、元オーナーが日々美しさを求める織屋さんであり、庭を造っては壊しを繰り返していたこと、故重森三玲氏、故井上卓之氏の「ただ施主の言われるがままに造った。」という言葉が残っているからです。この事実から、この紙屋川庭園という空間は元オーナーさんの美しさの体現だったのだろうと思えるからです。日々美しさを追及する人の庭園という事を踏まえると「造り続けられた庭園」という言葉も違った感じ方ができるのではないでしょうか。
また、この紙屋川庭園は庭園としてだけではなく、元オーナーさんには次の構想もあったようです。それは世界中の織物を集めた博物館にするという構想だったようです。元オーナーさんは審美眼を鍛えるために様々な美術品をコレクションしていたそうで、正倉院の裂、名物として知られる間道裂(かんとうきれ)や世界各地の歴史的な裂や、骨董品、美術書など収集するコレクターでした。美しさを求め続ける、そんな姿勢からも元オーナーさんの作庭に対する姿勢も伺えると私は感じています。
と、ここまでがアマン京都の前身、紙屋川庭園のお話になります。
次回は「アマン京都完成の軌跡―アマン編―」についてお話します。
他にも、「アマン京都の魅力」、「弊社社長、社員の施工への思い」を予定しており、全4弾でお話します。乞うご期待下さいませ。