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AMAN京都 「アマン京都完成の軌跡ーアマン編ー」
こんにちは、大平です。
今回は前回お話した「アマン京都完成の軌跡ー紙屋川庭園編ー」の続き、「アマン京都完成の軌跡ーアマン編ー」についてお話します。
元オーナーさんの美しさの体現とも言えるような紙屋川庭園ですが、次にその紙屋川庭園がどのようにアマン京都完成につながったのか?ということが気になるかと思います。そのお話をさせて頂きます。
実はこの地でのアマン京都開業の構想は約20年以上も前からあったようです(20年とてつもなく長い年月ですね…)。
この地に出会ったのは建築家のケリー・ヒル氏という方で、今まで数々のアマンのデザインを担当していた方です。なぜ20年もの構想期間があったのか。それは、ケリー・ヒル氏がこの地に出会った当時は京都市の建築規制があった為、すぐにホテル建設に取り掛かれなかったからなんです。しかし近年の条件が改正されたことにより、アマン京都開業につながることとなります。20年も待ちに待ったアマン開業、言い換えれば20年も建築家を惚れさせ続けられる魅力が紙屋川庭園にはあったと言えると思います。
まとめますと、
- アマン京都はもともと「紙屋川庭園」という地であった
- その庭は40年かけて造り続けられた熟成された庭であった
- およそ20年前に建築家ケリー・ヒル氏が紙屋川庭園を見つける
- 当時の建築規制により着工が遅れた
- 規制改正の後、アマン京都着工、完成
このような流れです。
いかがでしょうか。通常想像するような、計画、着工、開業のようなスピード感ある時系列での歴史ではないことがお分かりいただけたと思います。紙屋川庭園からアマン京都完成に至るまでに60年という、ひと一人分の人生ともいえるほどの年月がかけられているのです。「熟成」とも言える、と私は考えています。
これが「アマン京都完成の軌跡」です。いかがだったでしょうか。紙屋川庭園がどのようにアマン京都にへと変化していったのかお分かりいただけたでしょうか。
次回は「アマン京都の魅力」についてお話致します。乞うご期待下さいませ。